社会学者の研究メモ

はてなダイアリーから移転しました。

論文の書き方:FAQ

なんだかアクセスが多くてびっくりですが、それだけいろんな人が研究の方法に関心を持っているということでしょう。

昨日、こちらの大学院で研究している日本出身の院生の方とお話をする機会がありました。課程留学された動機を伺ったところ、少なくとも当時の日本ではなかなか学べなかった研究法の指導が充実しているから、といったことをおっしゃっていました。「最近は社会学でもちょっとずつ変わっているという感触はありますよ」と伝えましたが(あくまで感触)、なにしろ北米の大学の研究法関連の文献や授業の充実度はすごいですからね〜。

文化もあると思うんですよ。アメリカ、カナダでは、研究じゃなくても「自分の持っている情報を説得力を持って伝える(presentation)」能力に大きな価値を置きますからね。

ですから研究報告でも、難しい話をする人がいるとして、聞き手がちんぷんかんぷんだと、聞き手のレベルが低いと思われずに、場合によっては話し手の無能さを指摘されちゃったりするわけです。オッカムの剃刀じゃないですが、シンプルで鋭い理論仮説が好まれると思います。

では、最後にFAQいっときます。(いっとくけど、学生向けですよ。院生でもいいかもしれないけど。)

「検証できること」を条件にするとリサーチ・クエスチョンがちっこくなるんですけど?

うん、ちっこくなりますね。

その一」のところで、「リサーチ・クエスチョンは検証可能な範囲で設定しよう」と書きました。それはそうなんですが、学生の調査の資金力や能力を考えると、この制限によって必然的にテーマは小さくなるわけです。そして気づいたら、タイトルが「大学生の...」ばかりになる。それでもちゃんとスリリングな論文を書くことはできますし、私としてはむしろその練習をしてもらいたいという気持ちがあります。とはいえ、一線級の研究者と同じくらい大きなテーマで書きたいという学生の気持ちも分かります。

そのやり方、あります。それは「バトンタッチ論文」です(私が勝手に命名)。バトンタッチというのは、他の研究者に自分の課題をつなげることです。とりあえず2つのパターンを説明します。

  1. 入手できるマクロデータをつかってでっかく分析、穴がある部分はバトンタッチ。
  2. でっかく仮説構築までやって、あとはバトンタッチ。

順に説明します。


(1)政府統計などのマクロデータを活用することを考える。

まず最初の方法。マクロデータとは、集計された後のデータです。婚姻率とか、出生率とか、失業率とか、GDPとか。集計された後のデータなので、集計される前の生のこと(ある性別のある学歴のある職業の人が、○歳のときに結婚してたりしてなかったりするといった状態)までは分かりません。集計される前のデータがマイクロデータです。アンケート調査で入手できる個人個人についてのデータですね。

ええと、マクロデータが「でかい(マクロ)」からリサーチ・クエスチョンも「でかく」なるわけじゃないですよ。マクロデータを使うとテーマを拡張できるのは、調査対象が広いからです。身の回りの大学生だけじゃなくて、日本人(場合によっては世界中の人)を対象にしたデータが簡単に手に入るからです。ほんとは「調査対象を広くとったマイクロデータ」が一番いいのですが、入手が少しややこしいし、入手できても分析に(少なくとも一〜二年の)訓練が必要になります。

ともかく、広い対象についてのマイクロデータは入手や分析が難しいですが、マクロデータなら少なくとも入手はウェブ上で簡単にできるわけです。

というわけででかいテーマに取り組むためにマクロデータに埋もれることになるのですが、マクロデータによる分析には穴がたくさんでてきます。「そのデータでそこまでいえるわけ?」というやつですね。若年失業率の推移と婚姻率の推移が連動していたとしても、それだけで2つのあいだの関連性が証明されたことにはなりません。この穴を埋めるために、本職研究者はもとの個々人のデータ(マイクロデータ)をみるわけです。マイクロデータだと、「失業(や経済的困窮)状態にある人の結婚が遅れているかどうか」を個々に(しかも他の条件をコントロールして)確認できますからね。

この穴は、マイクロデータが入手できない以上、ちゃんと埋められません。「じゃあ論文に使えないじゃん」となるかもしれませんが、そこは発想の転換です。まず、不完全ではありますが、質的研究、あるいは小規模サーベイデータで埋めることを考えてもいいでしょう。それでも残る部分は検証されていない前提として明示化し、次の研究につなげましょう。

論文は、完結していることが望ましいです。でも、どこかにいる研究者につなげて、バトンタッチしてもいいのです。「ここまでやりました。これこれこういう未検証の課題が残っています」とはっきり書いておけば、その研究はちゃんと「たくさんの研究の流れ」の一部になるのです。

未検証部分は自分の論文の足りないところなわけで、(教官が怖い人である場合など)ごまかしたりたくなる気持ちもあるかもしれませんが、ごまかすと逆に自分の研究が受け継がれる可能性が小さくなります。それはそれでつまんないですよね。


(2)検証まで行かずに、大きなテーマについて仮説構築することを目指す。

まず、研究のサイクルを確認しておきましょう。骨の部分だけだと、

  1. 理論仮説
  2. 検証

です。このうち、仮説構築だけを行っても、理論研究として立派な研究だといえます。これに対して、調査・分析を中心としたものは、しばしば「調査報告」としてフルの論文とは区別されます。指導教官にもよりますが、卒論として理論研究は許容しても、調査報告だけだとダメだよ、という人は多いと思います。教官がやさしくて「うん、検証抜きでもいいよ〜」という方針を出してくれた場合、仮説を検証することが自分では難しくても、先行研究と理論的考察から、そういう仮説を導くところまではもっていけるわけです。

このときの論文クリア基準は、以下の通りです。

  1. 理論構築を通じて、いまだ検証されていない仮説を提示すること。そしてその仮説が検証可能なものであること。
  2. その仮説が、他の研究者が検証してみたくなるような興味深いものであること。(たとえば山田先生の「パラサイト・シングル仮説」などでしょうか。)

要するに「自分の論文はリサーチ・クエスチョンと仮説までの、途中のものです。検証可能な仮説を提示してバトンタッチできる状態で終わらせておきます」ということですね。理論研究が実証研究者にとってつまらないものであるとしたら、たぶんその理論研究が「つなげること」を意識していないからだと思います。

研究は、他の研究とつながっていないとダメです。というより、つながっていると書いている方も楽しいし、読んでいる方も楽しいです。学生の論文だって、連綿と続く研究の流れのなかにあるんだ、と実感できるからです(すばらしい!)。完結した論文は、検証を通じて先行研究に新たな段階を付け加えます。ここで示した一番目の方法(マクロデータの活用)では、埋められていない穴を他の研究者が埋めることを期待して残しますし、二番目の方法(仮説の提示)では他の研究者が検証してくれることを期待して、論文をとりあえず閉じるわけです。

研究に役に立つ文献がない!

学生が「探したけど研究の役に立つ文献がなかった」と言ってきました。どうするか。

まず最初に確認しておくことは、文献に関する初歩的な勘違いの可能性です。学生が「自分のリサーチクエスチョンについて直接答えを出している文献」を探しており、その結果そういう文献が「なかった」と言っている場合です。もちろん、文献で答えが出てるなら自分で検証する必要がないわけです。学生が先行研究の概念を理解していない証拠ですので、説明してあげましょう。先行研究とは、自分のリサーチ・クエスチョンに関連する問い立てに答えを出しているもの(しかし直接自分の問いに答えているわけではないもの)です。自分は日本をフィールドに検証したい仮説があるとき、アメリカで検証していた論文とか、家事分担に与える学歴の影響を分析したいとき、労働時間の影響について検証した論文などですね。

論文では、最初にリサーチ・クエスチョンを提示したあと、このような先行研究に自分の研究を位置づけすることが必須になります。「先行研究がこれこれこういうところまで研究しているので、自分はこれこれこういう研究をするとこで新たな貢献をしたい」というふうに書きます。要するに、自分の研究は先行研究に何か新しい知見を付け加えることで価値を持つのです。

次に、社会学だとしばしば、本当に先行研究がないこともあります。格差とか結婚などのテーマなら文献は多いですが、文化現象(服装とか化粧とか)になると、なかなかいいものがないです。たとえばSNS内のネットワーク構造の日米差について調べようとしている学生がいたとします。しかし、SNSについては評論風の文章はあっても、検証をしたような研究がありません(あるのかもしれませんが、ここではとりあえずないことにさせてください)

こういうときどうするか。

私が意識しているのは、「先行研究と関連研究の違いを意識して文献を探してみなさい」です。先行研究が自分のリサーチ・クエスチョンに直接絡んでくる研究(そして「それに対して自分が先に付け加えて行きたい研究」)なのに対して、関連研究はそれ以外のより広い関連研究です。先のSNSについての研究でいえば、ネットワーク論、インターネット論、日米文化比較論などが関連研究です。もう一つ例。夫婦間の家事分担の不公平感の要因について研究したいが、先行研究がなかった(ほんとはたくさんありますけど、ないとします)。この場合、タイトルの概念を分割して「家事分担の要因の研究」と「不公平感についての一般的研究」が関連研究になります。これらについて文献をまとめ、「自分の研究はこのような関連分野において新たな問いを構築するものだ」と書くわけです。

このとき、学生が悲しそうな顔で「先行研究の文献がない」と訴えてきているとしたら、それは違うということを理解させる必要があります。だって、オリジナルのリサーチ・クエスチョンを発見したということですからね。オリジナルがオリジナルであることを示すために、関連研究のなかに位置づけるのです。

さて、これは「イントロ」部分で参照する文献になりますが、逆に検証した後の解釈に使える文献もあるでしょう。「検証をした結果、仮説とは違った結果が出た。なぜこういうことになったのか、文献を参照して解釈(意味づけ)してみよう」というわけです*1。こういう場合、検証のあとの「考察」のセクションで文献を参照できるわけです。

最後にもう一つ。資料調査についてです。学生の研究だと、先行研究・関連研究としての文献と、資料としての文献の違いがつかないこともよくあります。自分の仮説にずばり答えている文献を引っ張ってきて、「今回は仮説を資料調査で立証しました」と言われてびっくり、というパターンです。ちがう、それは単なる先行研究のまとめだ。リサーチ・クエスチョンを変えなさい、というはめになります。

プロの研究者の方には言うまでもないことですが、資料調査の資料とは、研究対象そのもの、あるいは研究対象について「記述」した文献であって、それについて学術的に分析をしたものではないです。次の2つのパターンがあります。

  1. 研究対象としての資料
    • いわゆる内容分析(テキスト分析)ですかね。
  2. 研究対象について記述した資料
    • たとえば明治・大正期の妾制度について調べるとき、インタビューしようにも証人はもういないし、統計データもほぼないでしょう。そういうときは、当時の新聞や小説を資料として使うしかないです。学生がよくやるファッション雑誌の分析も、それを通じた流行の変化などを探ろうとするなら、こちらですね。

社会学だとたいてい二番目でしょう。

以上、文献の参照の4つのパターンをまとめておきます。

  1. 先行研究(自分の研究がそこに付け足すもの)
  2. 関連研究(位置付け用)
  3. 関連研究(解釈用)
  4. 資料(調査対象)

とりあえず2番の位置付け用関連研究なら、全くないってことはないかと思います。4つの違いをよく意識して、文献を論文に埋め込んでいきましょう。それだけでも論文がずいぶん面白くなりますし、実際論文が書きやすくなって楽しいと思いますよ。

もっともっとでかいテーマがやりたい!

もしかして宮台先生や大澤先生がやってるみたいな研究を言っているんですね? わかります。え、ウェーバー? 読むだけにしてください。

たぶんその「もっとでかいテーマ」というのは、次のうちのどちらかじゃないでしょうか。

  1. 理屈のうち、どうやっても検証しにくいもの(あるいはしてもしょうがないもの)
  2. 社会理論(グランド・セオリー)

まずは一番目。社会学の「理論家」のなかには、非常に面白い理屈を考え出す人がいますが、なかなかに検証しにくい理屈であることが多いです。例を挙げましょう。

  • ギデンズの「再帰的近代化」
    • 典型的な検証しにくい理論ですね。「グローバリゼーションとシステム化のなかで、不確実性が増大している」って、そんな命題どうやったら検証できるんだよ!となります。
  • ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法
    • 彼自身は社会学者じゃないですが、結構な数の社会学者は彼の研究をしています。やはり、「合理性が進展すると、ひっくりかえって野蛮になるよ。ナチスとかみるとわかるでしょ」といわれても、理屈は(なんとなしに)分かりますが、少数の事例だけしか集まらないので検証するのが難しいです。
  • セネットの「親密性の専制」
    • 19世紀以降、政治的判断に「身近な判断」が紛れ込むようになった(「いい人そうだから」といった基準で、お友達を選ぶように政治家を選ぶ、など)、そうです。これは、資料調査をすればなんとかなりそうだけど、資料調査って偏りに対して対処しようがないので、やっぱり難点はあります。

こういういわゆる検証手続きを含まない仕事をして、しかも認めてもらえるようになるには、人並み外れた洞察力であるとかセンスが必要になります(あいまいな表現ですみません)。ない人がすると...(自粛)。

さて、もうひとつの方。グランド・セオリーというのは、もしかしたら他の学問では聞き慣れない概念かもしれません。簡単に定義すると、人間と社会についての包括的理論です。パーソンズの構造機能主義モデルとか、ギデンズの構造化理論ですね。経済学の数理的体系は条件付きの構築物なので、グランド・セオリーではありません。グランド・セオリーとは、「社会ってそもそもこうなっているんだよ」という壮大な理論体系のことです。

どっちの「理論」にしろ、卒論や修論では自分でこういう作業をするのは難しいですよね。結果的に、一生懸命理論の本を読んで自分なりの解釈を書くってことになります。文献解釈学みたいな論文です。(はい、私やってました。)『ホルクハイマーの○○概念についての一考察』とかですね。

こういう研究はあっていいと思いますが、最小限自分の問題関心については共有してもらうことが必要かな、と思います。「理論」系の研究をしている人が、「どういう問題関心があるの?」と尋ねられ、10分くらいべらべら話をしたけど、相手がさっぱり理解できなかった、ということにならないようにしたいところです。そこで、私流「検証できないでっかいテーマ」論文のクリア基準。

  1. 10分くらい話せば相手に「ああ、この人はこういうことに興味があるんだな」と理解させられる*2
  2. 自分の理論を使うと、現代の社会問題について(一般的な見方とか違った)どういった違った見方ができるのか、を説明できる。

さて。

とりあえずシリーズはここまでです。だいぶ端折りましたので、物足りなかったりあやしかったりするところはありますが、ご寛容のほどを。また、ウェブ上には(ここで書いたようなものよりずっと)良質な論文指南がたくさんありますので、ぜひ探してみてください。

*1:本職の社会学研究者が論文を書くときは、「仮説を立てて検証したら違う結果が出た」という場合、それを説明できる理論・文献をもとに、もう一回リサーチ・クエスチョンと仮説を書き換えちゃったりします。テキストブック的にはおすすめできる作業ではないのかもしれませんが。

*2:これだけだとちょっと基準が甘いので、聞かせ相手はお母さんに限定します。