社会学者の研究メモ

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社会保障の「気前良さ」は政府支出の大きさでは測れない

政府は増大する社会保障支出を背景に、いよいよ増税に向けた調整を本格化させている。他方でアカデミズムにおける社会保障論(福祉国家論)をみると、日本は基本的に社会保障に関して低い水準にあるということがたいていの議論の出発点となっており、現在の政府の政策展開とアカデミズムのあいだには奇妙なズレがあることが分かる。

このズレはいかにして生じているのだろうか?

ある国の社会保障の手厚さを測る指標としてしばしば社会保障支出のGDP比が用いられる。また、日本政府はしばしば国民負担率という指標を用いる。しかし、たとえば年金支出は高齢化率にしたがって上昇するので、「年金支出の規模が大きいから社会保障が充実している」ということにはならない。失業率と失業手当の関係も同じで、失業率が高ければ失業手当支出も増えるが、かといって雇用関連支出が「充実している」というわけではない。

図は2007年のOECD諸国の社会支出GDP比だが、日本は18.7%で中位程度であり、高福祉国家と言われるノルウェイの20.8%と大きく異なるわけではない。やはり、あまり実態に即していないことをうかがわせる数字である。

社会支出をマクロデータで説明する学術的研究では、高齢化率や失業率を同時に回帰モデルに投入することで「水増し効果」を除去した上で社会支出の寛容さを推定するが、社会保障の手厚さを指標化する際には、より直接的に「福祉支出の寛容さ」を観察するというやり方もある。それは、たとえば年金や雇用保険であれば支給に要する加入年数や所得代替率を指標にするというやり方である。このやり方だと、極端な話高齢者が社会に存在しないために老齢年金支出がゼロであったとしても、受給要件等の条件が良ければその社会は「高齢者に寛容」だということになる。

こういった指標はなかなか作成することが難しいが、ウェブ経由で入手できるものを使ってグラフ化してみた(ここではComparative Welfare Entitlements Datasetを利用)。以下、しばしば言われているように「近年の日本の社会保障支出の増大は高齢者の増大によるものであり、日本が社会保障に関して寛大な国になっているわけではない」ということを数字によって示してみよう。

グラフ本体はこちら↓

Graph Chart of Social Expenditure and Welfare Generosity using Google Motion Chart

横軸はGDP比の社会支出、つまり支出の規模である。縦軸は給付要件や所得代替率から構成された「社会保障の寛容さ(気前良さ)」の指標である。

1980年時点では、日本(橙色)の社会保障は社会支出(10.4)、気前良さ(17.4)ともOECDで最低レベルである。

左下の矢印をクリックして時間スケールを動かしてみると、2002年までの動きがわかる。

日本のマークは右に移動するが、上には移動していない。2002年時点では、社会支出は17.8まで上昇するが、気前良さは19.8とあまり変わっていない。この時点で、日本の社会支出の増加は人口および経済条件の変化によるもので、支出の寛容さが増えた(社会保障が充実した)ことによるわけではないことがうかがい知れる。

次に軸の数字を変えて、横軸に「高齢者向け社会支出(Social expenditure (old age))」を、縦軸に「年金についての気前良さ」指標をとって、時間を動かしてみよう。(軸その他の設定は自由に変えられるので、ぜひ各自いろいろやってみてください。また、少なくとも日本の数値はいわゆる「(2000年と2004年の)年金改革」を反映しているようには見えないので、数値の算出方法については少し気をつけるべきかもしれませんが、他国との対比については概ね信頼できるように思います。)

横軸だけ見ると、2002年時点での日本の高齢者向け社会支出は(ダントツの高齢化率を反映して)OECDでみても高いレベルにあることが分かる。しかし「年金の(給付条件や所得代替率などの)気前良さ」の面からは、決して気前が良いとは言えないこともわかる。

失業手当の気前良さがOECD最低レベルであるのに比べれば、相対的には年金は気前良く支払われているということもわかる。とはいえ年金の給付条件が現時点で決して恵まれている部類に入るわけではない以上、「気前良さ」をこれ以上下げずに社会支出割合を減らす方策に力点を置くべき、というのが基本になる。

むろん、経済成長と労働力率の上昇が根本的な解決法である。短期的にどうこうといった戦略は難しいだろうが、かといって小手先(パイの分け方)の調整の余地はますます小さくなっていることから目を反らすことはできない。税収を増やす手段が増税だけではないように、社会保障を充実させる手段は保険料の増大や給付条件の厳格化のみではない。社会保障改革は、最初から雇用制度改革と連携して議論すべきなのである。