社会学者の研究メモ

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世代間不公平

阪大の大竹先生のブロク経由で購入。改めてやっぱり陰鬱な気分になるなあ。

第1章 社会保障制度の「危機」はなぜ起きるのか

  • 社会保障制度の危機の本質的な原因は、不況でも無駄遣いでもなく少子高齢化
  • これから迎える団塊世代の退職は危機的状況の入り口でしかない。むしろそのあと、2070年ころにはおよそ労働者1人で高齢者一人を支えることになる。
  • 少子化対策では社会保障制度の危機を克服できない。少子化対策が一番うまくいった推計でも、現役負担の比率が少しだけ緩和されるに過ぎない。
  • 世代別社会保障の損得計算(給付-支払い、税を介した所得移転を含まず)の結果は以下の通り。40年代生まれと2000年代生まれで8000万円の違い。
生年 損得
1940年生まれ 4850万円
1950年生まれ 1900万円
1960年生まれ 370万円
1970年生まれ -750万円
1980年生まれ -1770万円
1990年生まれ -2710万円
2000年生まれ -3260万円

こういう(背筋が寒くなる)数字はさておき、検討すべきは以下の論点だろう。

社会保障負担の推計は経済学者によってたびたび報告されてきたが、行政においては無視されてきた。その理由は、次のような反論があったから。

  1. 社会保障とはそもそも世代間の助け合いだから、問題はない」というもの。
    • これに対して著者は、いくら社会保障制度の理念が「助け合い」だったとしても、現在の状態から予測されるような世代間格差は許容できる範囲を超えているし、そもそも維持できるようなものではない、と主張している。
  2. 「こういう損得計算を経済学者がするから年金不信になるのだ」というもの。
    • 著者はこれを「愚民思想」として一蹴。
  3. 社会保障制度の枠外での所得移転(親から子への経済支援や遺産相続)を勘案すればそれほど不公平ではない」というもの。
    • これに対して著者は、「年金による損が大きい世代ほど親からの所得移転が大きい」という関係があれば成り立つかもしれないが、そういう事実は報告されていないので反論になっていない、と主張している。
  4. 社会保障で得をする世代は子どもをそれだけたくさん産んでその条件を自分たちで作ってきたのだから、その報酬を受け取るべき」という反論。
    • これに対して著者は、「1940年生まれの人々が出産を開始した1960年ころにはすでに出生率は2程度になっている」(だから「もらいすぎ」額に相応するほど人口増に貢献しているわけではない)と述べています。
  5. 社会保障制度を開始したときの受給世代が「もらいすぎ」になるのは当然だ、という意見。
    • これに対して著者は、(もらいすぎの)1940年代生まれはすでに制度創設当初の高齢者ではないし、「現在の世代間不公平には、創設当初の高齢者への支払いに伴うものというよりも、特に1970年代初めから無計画に始まった年金給付の大判振る舞いのツケが大きく影響して」いると主張している。

本書の終わりの方の論述と関連することだが、もし人間が合理的に行動するなら、そら負担はまだ選挙権を持っていない将来世代に残す方が(現役の国民にとっても政治家にとっても)理にかなっているなあと思う。結局、維持可能な(公平な)社会保障制度が支持されるかどうかは、合理性からは説明できない「公平の価値観へのコミット」にかかっているのかもしれない。