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社会学者の研究メモ

はてなダイアリーから移転しました。

なぜ経済学には権力という概念がないか

(今回の議論はたぶん、かなり穴があります。ご承知おきを。...ってブログの記事はそもそもそういうものか。)

経済学に権力という概念が全くないわけではないと思うのですが、社会学ほどは目立たない概念でしょう。なぜでしょうか。

このことは、権力の定義を考えると自ずと見えてくるのではないでしょうか。まず手始めにWikipediaをみてみましょう。

権力(けんりょく、ドイツ語 Macht、英語 power)は、何らかの物理的強制力の保有という裏づけをもって、他者をその意に反してでも服従させるという、支配のための力のことである。権力者とは、そうした権力を独占的に、あるいは他に優越して保有し、それを行使する可能性をもつ者を言う。(権力:Wikipedia

ウェーバー的な定義ですが、日常的定義(人々が権力という言葉でどういった状態を指しているか)としてはこんなもんで十分なんじゃないでしょうか(フーコーの概念とかはちょっと日常の語法からは離れてしまうし)。で、もうちょっと慎重に考えるとしたら次のようになるでしょうか。

まず、権力格差(ある人が別の人よりも強い権力を持っている)というのは、特定の人に意思決定権が多く与えられている、ということ。そしてある人が意思決定をしなければならない場合というのは、結果の不確実性がある場合です。もし不確実性がなければ、上司と部下の判断は常に一致するので、そもそも意思決定をする必要はありません。だから新古典派経済学の経済主体は、合理的選択をするだけで意思決定(判断)をするわけではありません。

で、たいていの場合決定の結果は(思考コストを無限に負担できない以上)不確実ですから、誰かが「エイ、これでいっちゃえ」と決断をする必要があります。もし意思決定権がグループの成員に均等に配分されている場合、話し合いで決着をつける必要がありますが、大きな組織だと決定コストが膨大になるのでたいていはヒエラルキーにして、意思決定権を不均等に分配することになります。そして意思決定権は能力に応じて配分されるのが効率的になります。

これが要するに権力ですが、規範的モデルでは権力配分は効率的であり、(レントがないとすれば)上司の意思決定に不満を持つ理由がなくなります。なので権力を問題にする必要もなくなります。多くの場合、「あの人には権力がある」というときは、能力を超えた決定権が与えられている場合、あるいは適切な判断が何かを審査する手続きをせずに決定をする権限が与えられている場合を指していると思います。つまり何らかの「不適切さ」(不公平、非効率等)が含意されています。

社会学者は規範モデルから組織を説明するということをあまりしませんから、現実の組織で権力が不当に使用されている場面に注目しようとします。そこで登場するのが、権力は意思決定だけではなく制度を形作ることで人々の選択肢の配置を支配する、という考え方です。「選択肢の中から選択させる」のも権力だけど、「選択肢を作る」のも権力だ、ということです。

人々の行為が構造を作るのではなく、行為がすでにできあがっている構造をなぞる形で行われる、という社会学的な行為の見方からすれば、権力を制度化の力として考えることは自然に出てくるアイディアでしょう。制度を作って人々がそれを前提に行為するようになってしまうと、たとえそれが個人にとって不利なことでも、制度を変えるコストの方が上回ってしまって、結局権力者の都合のいいようにみんな行動してしまうわけです。

(追記)

みなさまのお手を煩わせているようなので、補足です。今回の問題設定は、下の本で書かれているような分析(コースの定理が通用しないケース)を踏まえて、それでもなお、ということです。

組織の経済学

組織の経済学