学会乱立の弊害
とくに社会学とか福祉の分野。ぼちぼち誰かがこの問題に取り組むべきだと思います。
弊害は主に二つ。ひとつは費用の面で非効率的であること(社会的にも個人的にも)。次に個人業績の評価がやりにくくなること。後者は、ごく少ない人数で構成された学会での「査読雑誌」も、事情をよく知らない人にとっては大きな学会の査読雑誌と同じ価値を持ってしまいかねない、ということ。評価コストを高める、ということです。
もちろんデメリットがあるのに学会が乱立していることには一定の合理性もあるのでしょう。メリットとしては、多分野にまたがるような研究領域をひとつにまとめる、というものがあります。例えば「メンタルサポート」のような領域だと、精神医学から心理学、社会学まで様々な領域の研究者が集まることで議論が活発化することは十分に考えられます。地域名を学会名にしたものも同様。たとえば「中東」に関心がある社会学、歴史学、経済学...の人が集まって情報交換が出来るわけです。しかしそのような必要な学術交流を「学会」という形で行う必要は、ほんとにあるのでしょうか? 学会はあくまでディシプリン単位で構成し、必要な学術交流はそれ専用のセッションを随時設ける、定期的なワークショップ・研究会を行うなどすればいいと思います。要するに組織のメリットとネットワークのメリットをはっきりと切り分けて、それに応じた運営形態をとればいいわけです。
例えば「情報メディア」の分野では、学会の乱立状態が著しいです。「日本社会情報学会」なんて、同じ名前の学会が2つある。メンバーはそれぞれのディシプリンの言語で勝手にものを言うから、学際的な学会のセッションはたいてい不毛です。そんなことになるくらいなら、まずは各々の学術領域内で議論を徹底し、それを経て洗練した議論のみを今度は対外的にも通じる言葉に置き直して、他の学会の知見と付き合わせる方がよほど生産的であるように思います。
社会学については、○○学会が乱立するのを避け、下位分野を「セクション」としてアメリカのようにひとつの大きな学会(アメリカ社会学会)の下に位置づけ、規模のメリットを生かし、運営費用を節約するのがいいかと。そうすれば年に何回も学会に出張する必要もなくなるのだし、運営側も他の学会の開催日を気にして日程の設定に苦労することが少なくなるでしょう。