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社会学者の研究メモ

はてなダイアリーから移転しました。

外国語での研究報告に関する雑感

日記・コラム

今回は研究内容から離れてエッセイふうなことです。

海外の学会やシンポジウムに行くたびに、いろんな研究者の方から「なんで日本人研究者は海外に出ていって報告しないんだ」と聞かれているような気がします。特に日本出身で海外の大学院を経験されている方、同じアジア出身の研究者の方などがそのように発言されているのをよく聞きます。

聞き様によってはオフェンシブに聞こえなくもないですが、まあ事実でもあり、あちら方としては、実際に報告しにきている私はその範疇に入らないと思ってそういう話題をするのだと思います。ともあれその後は判で押したようなやりとり(たいていは「日本人英語苦手説」と「国内で外国語報告が評価されない説」)が続くのですが、そんなことを言い続けていてもしょうがないような気もするので、最近は別のことを考えています。

というのは、やっぱり分野に寄るばらつきも大きいと思うからです。理系や、社会科学でも経済学だとかなり前から英文ジャーナル掲載が目標になってます。が、ヒューマニティ、そしてなんだかんだで人文色が強い社会学などではそうなっていないことが多い(もちろん全部が全部そうではないです)。

このことの理由として、分野の特色として研究内容がフォーマット化されていないこと、したがって相対的に文脈依存の表現が多くなり、言語へのある程度の精通がないと報告が「不適切」に聞こえてしまいがちなこと、などがあるかと考えています。したがって、いったんこちらの大学で訓練を終えた社会学・ヒューマニティを専攻する日本人の英語は、たいてい非常にレベルの高いものになっています。こういった分野では、数式やデータだけに語らせることが難しい分、共通了解を作るためのコミュニケーション能力が磨かれるのではないか、と。

論文の枚数にもこのことが反映されているような気がします。社会学の英語論文は、経済学や理系の論文と比べて、すごく長い。最初から読み書きする動機を失いやすい。社会学の場合なぜ論文が長くなるかというと、ひとつには、リサーチクエスチョンの重要性を伝えるのに必要な情報量が多いからじゃないかと。数多くの文献を引っ張りつつ、「この課題は実は意味がある」「この課題はまだ明らかにされていない」と、読者を説き伏せていきます。経済学でも同じことはするでしょうが、「問い方と答え方」が共有されている度合いが大きいので、それほど説明を長くする必要がないのでしょう。

まあ仮説ですが...。

私も、現在行っているような計量的な研究であれば「リサーチクエスチョン→仮説→検証→解釈」というフォーマットに乗れるので英語で報告することに対する抵抗感はそれほどないのですが、そうじゃない内容を伝えろといわれるとあまり自信がありません。書く方にいたってはいつまでたってもヘロヘロです。

さて。

このように書いてくると、「そういう事情があるのだから大目に見ろ」とも言いたくなる気もしますが、こと社会学について言えば、それでも外国語(さしあたっては英語)で報告してみることは価値があるかと思います。

というのは、日本の社会学の学会に行く度に、「この人自分で分かってて喋っているのだろうか」という報告に出くわすからです。数理や計量手法を使った報告だとそうもいかないのですが、そうではない場合は、自分で自分の言っている内容をはっきり分かってなくてもなんとなくごまかせちゃうからなのかなあと考えています。こういう場合、報告のあとの質疑応答も絶望的に噛み合わないことが多いです。「フィールドワークしてきたことを解釈しようとしてちょっくら理論的用語を使ってみました」系の報告に、この傾向が顕著に現れます。

もちろんこういった問題は、私を含めて誰でも、多かれ少なかれ抱えていることです。ただ個人的な感想としては、このもやもやした中途半端な理解が、PCスライドを使ってみたり、英語に直して整理してみると、露呈しやすくなるんじゃないかと思います。というかほんとにちゃんと分かってないと、表現できなくなる。それこそ、シドロモドロになる。

ある言語に精通するということは、その言語で微妙なニュアンスを伝えることを可能にしますが、他方で曖昧にしか理解していないことであってもその言語で文章化してしまえるということなんだろうと思います。

諸刃の剣ですが、少なくとも北米の大学では発表を含めた研究法についての訓練が徹底されているので、「言語に甘える」ような報告は少ないのかなあと。

整理するとこの図のようになるでしょうか。

たとえば...。

  • 現在Bにいる人は、内容理解の不十分さを言語への精通で補っているだけなので、苦手言語で同じ内容を報告すると(Cに行くと)ヘロヘロになる。
  • 現在Dにいる人は、言語に精通してなくても研究報告ができてしまうので、それほど努力して言語を習得しようということにならない。

仮説ですが。