社会学者の研究メモ

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「意図せざる結果」の研究

「なぜ社会学には(そして主に社会学において)権力という概念があるのか」とか書いたら今度は社会学者がコメントを書いてくれるかな?とか思いましたが、悪趣味なのでやめときます:-)

最近いまさならながらの「ミクロ-マクロ問題」(社会学にはそういうのがあるのです)について、教科書のこともあって改めてつらつら考えていますが、社会学での「行為-構造」論って、そのポテンシャルがあまり研究に生かされてないですよね。

一番分かりやすくこの図式を利用するモデルが再生産論だと思います。が、本場にいらっしゃる研究者の方(このあいだ学会でお会いした方だと思うのですが)が書かれていますが(ブルデューのハビトゥス概念)、確かに再生産なんてことをいうだけならギデンズやブルデューが多くの枚数を割いて、誤解されやすいややこしい概念(「場」とか「構造の二重性」とか)まで作って理論を提起する必要なんてないわけです。

とはいえ、追従する理論家の作業としてはここら辺の話はちょっと内向きになっているような気配もあって、外にメッセージが伝わってこない。反対側にいる実証研究者なんて、やや無責任に、「あ〜、あいつら、なんかカルトな感じがする」とまで思っている。(まあ、実証屋さんが間違って「理論系」の研究会に迷い込むと、そう感じてしまっても無理がないと思いますが。)

勝手な思い込みなのかもしれませんが、二つの橋渡しの方向があると思います。ひとつは相互行為の組織化に注目する方向。こっちは研究プログラムがすでに走っています。そこで私がお勧めしてみるのは、もう一つの方向で、「意図せざる結果」のモデル化。弊害も大きい「ミクロ-マクロ」概念をもちこむことで得られる数少ない有用な視点(しかもシンプル)だと思います。もちろん理論としてはブードンらが論じ尽くしている感もありますが、マクロ経済学者が「合成の誤謬」のモデル化で大きな成果をあげてきたわけだから、外部経済とかじゃない別のオリジナル視点からやってみると。ギデンズはこの概念を強調するだけで、実証的研究プログラムを作ってこなかったです。唯一、P.ウィリスの研究がそれに近い、と言い残していますが。

具体的なプログラムはすぐには書けませんが、ともかく社会学の実証研究はこういう視点を欠いていることが多いので、たぶん他の分野の研究者からすればすごく「構造改革」主義的バイアスがかかっているように見えちゃうと思います。最近のワーク・ライフ・バランス議論や非正規雇用問題で、構造改革的主張の点で(一部)経済学者と社会学者の息が妙に合っているように見えるのも、そのためかな、と思ってみたり。

たぶん、最大の問題はマクロ指標だろうなあ。まあ最近は国連機関がいろんな指標を持っているので、計量的に工夫すればいろいろ仮説を考えられるかも。使えそうなモデル(混合モデル)も整備されてきているし。