制度論と同型化理論(続き)
前々回エントリの続き。
結論から言うと、同型化理論をはじめとする社会学的な組織論は、やっぱり組織自体をうまく説明できていないと思います。というか、説明体系がそもそも「それって別に組織じゃなくてもいいんじゃない」というつっこみを許しているのです。もちろん、そういった説明を組織の経済学が行っていて、それでも説明できないことを社会学が説明したのだ、という言い方もあるでしょう。しかしその際に用いた説明合理性が汎用的すぎるように思えるのです。
組織論は、以下のような条件を備えているべきだと思います。
- 人々が市場のようなアドホックな関係ではなく組織的関係を築くようになることを、合理的選択の結果として説明できること。
- 様々な形の組織(単純に言えばヒエラルキー型組織とネットワーク型組織)があることを、やはり合理的選択の結果として説明できること。
この条件を満たしているのは、社会学の組織論ではなくて経済学のそれだと言わざるを得ません。
他方で新制度派経済学の多くも(社会学と同じ)物足りなさを抱えているように思えます。「合理的選択で説明できる」という言葉はよく使われますが、それはある意味で出発点に過ぎません。そういった合理的選択が社会的に望ましいかどうかを考えるのに役に立つかどうかについて、つまり政策上の含意について、見通しが立っていた方がいいと思うわけです。要するに「上手く説明できたらそれでいいんかい!」というツッコミですね。まあそれでいいんじゃないの、という意見もあるかもしれませんが...。