社会学者の研究メモ

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組織と家族(2)

現在の社会では、家族から受けるサービスのほとんどすべては他のセクターから調達することができる。ホテルに泊まり(掃除も選択もやってくれる)、医療サービスを受け、友人・知人からメンタルなサポートを受ける。だから家族を組織論的に論じることは可能だ。個人は家族とその外部の境界を、財やサービスについての効用最大化を念頭に置いて決定している、というモデルを考えることができる。もちろん合理的な選択以外に規範が入ってくるので、それとのかねあいで実際の配分が決定される。

だから、特定の時代と地域の制度(とくに社会全体の資源配分様式)に応じて家族のかたちも決まる。

たとえば封建社会での家族は上記のように経済学的に説明ができる。家は一種の企業組織で、家長は経営者。嫁は生産財(労働力を提供し、別の労働力である子どもの生産も行う)。農家と貴族では嫁の位置づけが違って、後者では嫁は直接に労働力とはならず、下層貴族になるとだらしない旦那に代わって家産の経営を担ったりする。封建社会では社会全体の資源配分方法が近代社会とは違っていて、経済と政治は未分化だった。市場が配分方法を決めるのは希で、政治的に固定化された身分制が配分を支えていた。なので身分を超えて家族の定義をすることは意味がない。しかし支配階層にしろ被支配階層にしろ、家族という組織は個人が生きていくうえで欠かせないものであった。

現代社会はおそらくはじめて、諸セクターを活用することで、家族・親族に頼らない生活をリアルに考えられるものにした、といえる。しかしそれはある程度裕福な人の特権かもしれない。それこそぶっ倒れても生活していけるくらいに資源を豊富に有していれば、従来は家族からしか得られなかったモノやサービスを市場から調達しても、それなりの生活のクオリティを保つことはできよう。しかし資源のない人、ふつう程度にしか稼いでいない人にとって、少なくとも現代の日本社会で家族なしの生活を送ることは、あまりにリスクが高いものだ。この国では、まだまだ家族には保険機能が期待されている。お金が腐るほどあれば保険に入る必要もないかもしれないが...。