読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

社会学者の研究メモ

はてなダイアリーから移転しました。

社会階層と社会的ネットワークの多様性

(注意:論文内容に関する判断は、ぜひ実際の論文をお読みになった上でお願いします。)

大和礼子, 2000, "社会階層と社会的ネットワーク"再考, 『社会学評論』51(2), 235-250.

家族と社会的ネットワークに興味がある研究者なら読むべき重要な論文だと思った。(うかつにも見落としていたが、院生が教えてくれた。)「階層とネットワーク」といえば、最近はN.リンらのグループによるソーシャル・キャピタルの階層格差についての調査研究が盛んになされてきたが、この論文ではむしろ「階層が高い方が社会的ネットワークが多様である」という既存研究を出発点として、ジェンダーと社会的地位(主に学歴)の二つの階層の観点から個人の持つネットワークの違いを実証している。

データは以下のとおり。兵庫県内の1930〜59年生まれの有配偶女性(とその配偶者)の1534ケースを層化二段抽出、うち638ケースを回収(41.6%)。分析で使われているのはそのうち神戸市内在住の334ケース。

分析方法は二重あるいは三重クロス表のカイ二乗検定のみだが、結果はなかなかにクリアなものだった。著者はまず社会的ネットワークを「交際ネットワーク」と「ケアのネットワーク」に分類する。前者は悩み事があるときに相談に乗ってくれる人、後者は病気で体が自由にならなくなったときに世話をしてくれる人、である。各種のカテゴリー(配偶者、子ども、親族、近隣、職場、専門機関)を挙げて該当するものすべてを選択する、という方式で調査している。結果は以下のとおり。

  • 交際ネットワークについては、性別にかかわらず高学歴で「夫婦親子+非親族」(主に友人)、低学歴で「夫婦親子+親族」の選択率が高い。
  • ケアのネットワークについては、低学歴では性別にかかわらず「夫婦親子+親族」。高学歴層では性別に差があり、男性は「夫婦親子」に集中していたのに対して、女性は「夫婦親子+専門機関」の選択率が高い。

考察の中で著者は、近代社会には「一方的依存や身体接触を含まない関係(=交際ネットワーク)は公的領域に、含むもの(=ケアのネットワーク)は私的領域に置かれるべきである」という「支配的イデオロギー」があり、今回の調査結果もそれを反映したものだ、と述べている。その上で、このような支配的イデオロギーを典型的に実行しているのは「高階層の男性」である、と論じる。(低階層では男女ともきょうだいに頼る率が相対的に高く、これはいわば親族からなる「前近代的」なネットワークだと言えるのだろう。また女性がケアのネットワークに関して専門機関を念頭に置いている理由の一つには、近代の性別分業イデオロギーが生み出す非対称性の他にも、生物学的に夫のほうが早く死ぬパターンが多いということもあるのではないかと思ったが、どうだろうか。)

この論文の最も重要な貢献は、「高階層だと社会的ネットワークが多様だ」というのは公的・私的領域のうち前者に注目した知見に過ぎず、ケアのネットワークに視点を向け変えると高階層男性は家族という狭い領域を頼りしているという実態がある、ということを発見したことであろう。これは、社会的ネットワークを「多様性」というなかばニュートラルな概念ではなく、家族(狭い私的領域)・親族・社会(職場や専門機関)というより具体的な(そして性別分業されている)セクターの観点から分類することで明らかになった知見である。

介護等の負担を、これからますます先細っていく家族から、その他領域に移行させていくにあたり、男性の家族(特に配偶者)依存をどう軽減させていくのかという課題を浮き彫りにする、という含意もあるように思う。個人的な意見を言うと、家族(女性)が担ってきた負担の移行先は基本的には高階層の女性が念頭に置いている専門機関(市場あるいは政府)であるべきであり、地域や広い親族のネットワークはそのサポートにまわる、という位置づけになるべきである。というのは、流動的で地理的移動が多い社会ではそういったネットワークはしばしば不安定なものになり、コミュニティの人の出入りの多さに応じてフリーライダーを多く生み出しやすいからである。

もう一点。論文の含意からすれば「ケアのネットワーク」の有り得べき配分の方に注目が集まると思うが、「公私の分離」という観点からすれば「交際(相談)ネットワーク」の配分こそが実はこれからの社会の課題なんではないか、という予感もする。というのは、身体のケアが専門機関に移行することは、著者が指摘する近代社会の「支配的イデオロギー」に起因する一種の抵抗感を乗り越えさえすれば、それほど困難な課題ではない可能性があるから(あくまで「イデオロギー」の問題)。しかし親密性の配分はそういった「イデオロギー」によって歪まされた非効率的で不公平な配分の問題ではなく、もっと原理的に解決が難しい問題である。(ジェンダーや近代家族の問題はギデンズ流に言えば「解放のポリティクス」だが、親密性の問題はより困難な「ライフ・ポリティクス」の問題。)

...といったようなことを拙著に書いたので、興味がある方はご一読下さい。(最後に宣伝してすみません。)

親密性の社会学―縮小する家族のゆくえ (SEKAISHISO SEMINAR)

親密性の社会学―縮小する家族のゆくえ (SEKAISHISO SEMINAR)

■追記

最後分かりにくいので補足すると、私は「近代における公私の分離はイデオロギーだけによっては説明できない」「親密性の領域は一種の合理的選択の結果として形成されているし、これからも当分そうだろう」と考えています(参照)。