社会学者の研究メモ

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第三回連携研究会を終えて

「人文学・社会科学における質的研究と量的研究の連携の可能性」第三回研究会(立命館大学朱雀キャンパス)が終了しました。前回までの研究会に続き、全国から30名程度の参加があり、職業研究者のみならず複数の出版社の方にも来ていただきました。参加者のみなさま、どうもありがとうございます。

最初の報告者は慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任講師の渡邉大輔さんでした(「質問紙調査プロセスとチーム:量的調査における信頼性の担保とその問題点」)。渡邉さん自身は量的調査も質的調査もどちらについてもしっかりとした経験がおありですが、今回は量的調査について報告をお願いしました。

具体的には、いわゆる質問紙調査の実施の詳細について、調査論のテキストブックには書いていないところまで踏み込んでご説明いただきました。各種の質的調査にしろ量的調査にしろ、本を読んだだけではその様子がなかなか把握できないものです。量的調査を経験したことのない参加者も、意外に「体で覚える」ことの多い量的調査のプロセスのリアリティについて想像することができたのではないでしょうか。特に業者とのやり取り、アフターコーディングやクリーニングなどにおいて、量的調査のメンバーが微妙な(にわかには言語化しにくい)ルールを参照しながら作業を進めているということは、渡邉さんの報告の最も重要なメッセージだったように思います。

量的調査におけるデータは(当然ながら)調査対象者の「現実」をそのまま「転写」させたものではありません。職業コーディングひとつとっても、作業者は一定の意味的連関(ルール)に則って対象者の職業を分類していきます。となると量的なデータは、計量分析の研究者がしばしば「質的」研究者に対して抱く問題と同じ問題、すなわちデータ構築における恣意性の問題を持っていることになります。渡邉さんの報告では、そういった恣意性の問題を量的調査者がどのように気にかけ、またどのようにそれに対処しているのかについて考えるよい材料になったと思います。

また、調査論のテキストブックにはしばしば、量的調査によって観察されたデータは(質的調査によって採取されたデータと異なって)対象者の「豊かな意味連関」を剥ぎ取られたものであるということが書いてあります。これはまさにそのとおりで、たとえば家事分担ひとつとっても、量的調査では「あなたは食事の準備を週に何回くらい行いますか」といったシンプルな聞き方しかできません。もちろんこれだと、品数が多くて時間もスキルも要するような本格的な食事の準備も、シリアルを皿に盛ってミルクを注ぐだけのような「準備」も、人によっては区別なくカウントするでしょう。さらに、ある人は時間がかかるもののみをカウントし、別の人はなんでもカウントするという問題も生じ得ます。

この問題については、別の記事であらためて検討して見ることにします。ここでは、豊かな意味連関を剥ぎとってしまうという量的調査の観察方法は、それによってデータの信頼性を増す場合と、損なう場合があるということを指摘しておきましょう。

社会調査の応用―量的調査編:社会調査士E・G科目対応

社会調査の応用―量的調査編:社会調査士E・G科目対応

次の報告者は、大阪大学助教久保田裕之さんでした(「質的調査と理論研究:代表性と一般化可能性をめぐって」)。

久保田さんの報告では、本研究会のコアとなるトピックについて切り込んでいただきました。その分議論も活発になり、質疑ではいろんな意見が飛び交う場面がみられました。

なかなかまとめにくい報告内容でしたが、かいつまんで言えば、質的調査のメリットとして、当初の問いの前提や概念を捉え直すきっかけが得られるということがある、ということだったと思います。久保田さんの報告では、こういったメリットは、しばしば量的調査で重視されるとされた代表性、再現性、一般化可能性をあまり重視しすぎると損なわれてしまう、という懸念が指摘されました。研究者が一連の研究プロセスにおいて保持する概念枠組みを捉え返すという作業は、確かに量的調査それ自体からはなかなか出てこないものであるのかもしれません。

他人と暮らす若者たち (集英社新書)

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次回の報告者については未定ですが、社会学ではない分野の研究者の方にお願いすることも検討しております。おそらく来年の2月か3月になると思いますが、詳細が決まり次第告知をいたします。