社会学者の研究メモ

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(学生向け)面白い論文の書き方(その二)

おかげさまで前回のエントリは好評でした(2100ほどアクセスがありました)。引き続き、「ひと味違う論文作成方法」を試みます。

データ収集

さて、検証の目的から確認しておきましょう。検証の目的は、データを集めることではありません。論文を読む人(や報告を聞く人)を納得させることです。「そんな相対的な基準でいいわけ?」と思う人もいるでしょう。いいんです。アカデミックな世界も基本は同じ学者仲間からの評価が基準になっています(こういうシステムをピア・レビューといいます)。学生であれば、指導教官を納得させるのが目的になります。

納得させるための手段にはいろんなものがありますが、どういうときに人は納得すると思いますか? 2つあります。

  1. データで納得させる。
    • 実証ってやつです。数字は強力です。きちんとしたかたちで提示すれば、まず反論されません。
  2. 理屈で納得させる。
    • 論証ってやつですね。

つまり、場合によってはデータを使わずに、論理だけで勝負することも考えられるのです。仮説を支持する方法として論理とデータのどちらがいいのかは、最初の問い立てによって異なります。リーマン仮説は、データじゃ立証できませんね。経済学では理論構築自体がかなり煩雑になるので、理論(モデル)だけで論文が成り立つ場合が多くなります。社会学の場合は、たいていの問い立ては経験的に答えを出すべきものになるでしょう。

ここで「納得させるのが目的」といっても、相手が理不尽だとどんな優れた立証も無駄になりますよね。そういうときは、悔しいですが、あきらめるしかないです。ここで、先生方にも恐れながらひとつ申し上げておきたいことがあります。データを示した学生に対して、意見で反論しないでください。いや、結構あるんですよこれが。

学生:「データでは○○という結果が出ました。」
教員:「私の意見は違う。考えるに...(10分くらい独演会)。」

ね、おかしいでしょ。「僕の身長は170cmです」→「君の考えは間違ってる!」っていわれても、困ります。ゼミは旧日本軍じゃないです。せめてデータの取り方を確認してください(「測り方間違ってない?」)。

このおかしなコミュニケーションが発生するのは、特に先生方の思い入れのある見方(たとえば「新自由主義が人々を不幸にした!」)に都合の悪いデータが出てきたときです。解雇規制が緩い国だと(他の条件が同じであれば)失業率が下がるというデータがありますが、これに対して左翼系の市場メカニズムに批判的な先生方がツッコミを入れようとすると、頭に血が上って暴走してしまう、などのケースが考えられます。福祉国家のウラの面(労使間の賃下げ合意とか、女性が福祉職に集中して低所得になるとか)なんかも危険ですね。

確認しておきますが、厳密に言えば研究に意見は必要ありません。意見をいえば許されるのは高校まで。大学での研究では、意見があるならそれを支持する材料を自分で集めることが求められます。研究の世界は、言いっぱなしでは許されない大人の世界なのです。

話がそれました。


<量的調査>

さて、データを集めることにしたとしましょう。テキストブック的には、質的研究(インタビューおよび観察)と量的研究のどちらかを選ぶ、ということになります。が、学生(およびたいていの院生)の研究の場合、偏りのない量的なデータ(社会学だとサーベイデータ)を自力で集めるのはほぼ無理です。ただ、譲歩すれば可能です。

  • 授業でアンケート用紙を配って答えてもらう。
    • 一番コストがかからず数百のサンプルが手に入りますが、何を代表したサンプルなのかが分からないのが難点です。大学生を代表しているわけでもないし、大学のレベルによって偏りが出ることもあるでしょう。
  • 友達に頼んで自宅やバイト先で回答してもらう。
    • 大学生以外のデータがほしいときはこうなるでしょう。しかし偏りがあるのは確か。

しかし贅沢を言ってもきりがありません。調査には、妥協がつきものです。卒論レベルであれば、論文で使う際に、「偏りのあるデータにつき結果は仮説的なものである」と断り書きをいれればいいのです。簡単ですね。

リサーチ・クエスチョンによっては、集計されたデータを使えることもあります。政府がやっている統計や、偏りのないマイクロデータの入手が容易なJGSSなどですね。でも学部レベルでは大規模マイクロデータを分析するスキルがないことが多いので、それが難点です。

さて、どういうデータを使うにしろ、妥協せずにランダム・サンプリングのサーベイを実施するのではない以上、それほど収集に手間がかかるわけではありません。そこで私はそういう場合、インタビュー・データと組み合わせて使用しなさい、と指導しています。なぜかというと、これによって効率よく(それほど手間暇がかからず)データが豊かになるからです。

量的なデータ収集とならんで質的調査をしなさい、という指導は(経験上)うまくいくようです。うまくいかないのは、学生が質的調査だけしているとき。量的分析をするときはたいていリサーチ・クエスチョンと仮説を立てますから、インタビューの目的がはっきりするのです。

質的調査による補完の目的は2つ。

  1. 仮説(理屈)と量的データの穴を埋める。
  2. 仮説に対して対抗仮説を構築する。

まずは最初(穴埋め)。たとえばLevittの"Freakonomics"で提示された「中絶が犯罪率を低下させた」仮説ですが、Levittらはこれをデータで検証しています。しかし先のエントリで確認したとおり、仮説は理屈を含んだものです。データ分析は、たとえば「中絶が増え始めて十数年後にちょうど犯罪率が減り始めた」というデータを持って、この仮説が検証された、とします。中絶が犯罪率低下とつながる理屈としては、「望まれない子どもが生まれてこなくなったから」が考えられます。しかしこの理屈自体は、実はデータでは立証できていません。統計データによる検証は「データが理屈と矛盾しない」ということを示すことしかできないことがほとんどです。

だとすれば、直接この理屈を個々のケースにぶつけてみる、という作業が意味を持ちます。シングルマザーに生まれた子どもがいかにして犯罪を起こしやすい環境に育っていくのかをインタビュー等で明らかにしていくのです。

さらに、インタビューによって、別の興味深い事実が見つかったりすることも多いでしょう。場合によってはこれは対抗仮説として、新たな量的分析のネタになることも考えられます。(実は原因は中絶じゃなくて第三の共通する要因だった!とか。)

当然いまさらこの発見を量的検証に回すことは時間の問題から難しいでしょうから、「可能性(今後検証されるべき課題)」になります。


<質的調査のみの場合>

さて。

異論はあるかとも思いますが、質的データのみで検証を行うと、やっぱり説得力の面で問題が残ります。だって、すごく偏っているもん。対して、200人から集めたデータというのは、集め方が偏りのあるものでも、なんだかんだで人を説得する力はあります。なので、質的調査をするときは独自のメリットを意識する必要があります。しかし、特に日本の質的研究の文献は、リサーチ・クエスチョンがはっきりしないものが多く、お手本が少ないのです(勇気を出して言ってみました)

すでに書いたことですが、そのメリットはデータの「意味」の豊富さにあります。量的データが意味を取り扱えないわけではありません。が、どうしても穴がでてきます。先日のエントリの小笠原先生の例だと、従来の量的研究が「収入格差→家事分担格差」という変数間の関係の分析をしていたのに対して、その関係に隠された「市場労働の意味づけ」を発見したわけです。

このような面白い質的研究に共通する特徴は、「何らかの形で量的研究に絡んでいる」ということです。たとえば「家事分担おける意味づけ理論」が意義深いのは、

  1. 量的研究の結果を受け、そこに存在する「穴」を埋めた。
  2. その成果を、将来におけるバイアスの少ないデータでの検証につなげている。

という点だと思います。こうして質的研究と量的研究が有機的につながっていくわけです。

こういう位置づけにすご〜く違和感を持つ質的研究者の方も多いでしょう。でも、この方法は質的研究を効率よく行うにはよい方法です。なぜでしょうか。

質的研究のメリットは、対象となる人から「意味づけ」を豊富に引き出せることです。こういうメリットがあるため、しばしば質的研究者は最初から仮説(問い)をたてず、「当事者の語り」にまかせてデータを集めよう、と考えるわけです。それはいいんですが、よほどスキルがないと「意味が豊富な語り」は意味のカオスになり、結局有意味なデータが引き出せなかった、となることがあります。

これに対して仮説をはっきりさせた(構造化)インタビューは、あるがままの語りを記録するのではなく、量的研究では集めることが難しかった(したがって穴のある)データを効率よく拾い上げることができます。「そんなことなら最初から量的にやればいいじゃないの?」という反論もあるでしょう。しかしインタビュー調査は調査対象者とのその場のやりとりを可能にするので、対象者が質問の意図を勘違いしているような場合、「えーと、そうじゃなくて、こういうことが知りたいんです。つまり...」と補正することが可能になり、無駄なく的確に知りたい情報を引き出せる、というわけです。

というわけで、質的調査には、

  • 聞きたいことを効率よく知ることができる(偏りはあるけど)

というメリットがあるわけです。さらに、

  • 量的データほどお金がかからない(時間はかかるけど)。

というメリットもあります。だから学生の研究では賢い妥協点なのです。

次回はFAQ。お楽しみに〜。