社会学者の研究メモ

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ソーシャル・キャピタル論の考察(その二)

まだまだ全然整理できてないのだけど、放置するのも無責任なので、中間報告ということで。

現状でアクティブになっているソーシャル・キャピタル論には、大きく分けて二つある。詳しくは『ソーシャル・キャピタル』ミネルヴァ書房)の石田光規先生の「解題」をごらんになっていただきたいのだが、私の言葉で言い直すと、次のようになるかと思う。

  1. 個々人の地位達成やメンタルな福祉を向上させる個人のネットワーク上の特徴(「コネ」や「サポート・ネットワーク」)
    • 「コネ」:強い紐帯にしろ弱い紐帯にしろ、よい仲介者を持っているかどうかで地位達成に差が出てくる。
    • 「サポート・ネットワーク」:よき相談者がいるかどうかでその人のメンタルな状態に差が出てくる。
  2. 社会全体の経済的・政治的パフォーマンスを向上させる社会的特徴
    • 「信頼」:特に一般的信頼は取引コストを下げてプライベートセクターを活性化するし、また非営利セクター(政府、NPO)の活性化にもつながる。

1については、次のような検討課題がある。

  • 「コネ」の効果のほどは? 人的資本に比べてどれくらいの「費用対効果」があるのか? そもそも費用がかからない(あるいは出身階層に大きく規定される)ようなものなら、公平性の観点からそういった特徴をこそまず調べるべきなのでは?

ネットワーク資源の階層格差については、部分的にはリン等によって取り組まれている。人的資本との効果比較についても最近取り組まれつつある。

  • 「サポート・ネットワーク」が福祉をもたらすとして、ではそういったネットワークをもたらす仕組みに非効率・不公平はないのか?

これは拙著で提起した問題。とりあえずの答えは「(市場取引と同じく)ここでも効率性と公平性は衝突する、なので不公平なのは仕方がない」というもの。(例えば、結婚したい人にとっては、「あっちの人と結婚してた方が幸せになれたかも...」「あいつがあんなかわいい奥さんと結婚しているんだから、自分も...」とうじうじ考えているうちにそもそも結婚できないのでは意味がない。)

2についての検討課題は次のようになるだろうか。

これはすでにリン等が指摘している。しかしまあ「社会関係を活性化させる要素をソーシャル・キャピタルと呼んで何が悪いの?」という言い分も通るかもしれない。より大きな問題は次だろう。

  • 何が信頼を生むのか?

信頼はつまるところ個人の行動特性なので、それが社会環境に影響される、と考えることもできるかもしれない。流動性・不確実性が高い社会だと、高信頼戦略が増えていく。もしそうだとすれば、環境を制度改革主導で変えていくこととなり、個人の側にはそれは(よくて)一時的にはショックとして経験されるか、(悪くて)適応できない者が取り残され、格差を生む。

もっと大事な(というか致命的な)指摘があるとすればこうなるだろう。

  • 制度と経済的パフォーマンスなんて、制度派経済学がずっと研究してきたことじゃない?

これはそのとおりだろう。理論の優秀さ(説明力)からすれば、ソーシャル・キャピタル論は組織の経済学にはとても及ばない。このことは、ソーシャル・キャピタル論が「ネットワーク」を扱うといいつつも、「なぜ市場には個人だけでなく企業が存在するのか?」さえも上手く説明できないことに典型的にみてとれる*1。リンも、企業などの組織を、そこで個々人がネットワークをはりめぐらす際の土俵として、つまり「構造」として処理し、その成り立ち自体の説明をしていない。

かなり粗い整理だが、こうやって見渡していかないと、「ソーシャル・キャピタル」のような一時的流行色が強い概念については無駄な知的投資が生じやすいので、特に研究者は気を配るべきだろう。

組織の経済学入門―新制度派経済学アプローチ

組織の経済学入門―新制度派経済学アプローチ

*1:もちろんそのこと自体が理論的な欠陥というわけではない。安田先生が行っているように企業間ネットワークをネットワーク分析の手法で説明できるのは確かだから、これはこれで説明力がある、ということ。