社会学者の研究メモ

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グローバル化と家父長制

今年度副査を勤めた修論のなかに、バングラデシュのマイクロ・ファイナンスの効果についてのフィールドワークを行ったものがあった。フィールドワークをあの悪環境の中で行ったことと、マイクロ・ファイナンスの効果(論文では女性のエンパワーメントに焦点を当てていた)が弱い紐帯のもたらす情報効果にあることを明らかにした点で、なかなかの力作だった。

その論文の主旨とはいささか外れるのだが、印象に残ったのは論文の問題意識の出発点となっている、イスラム圏での女性の地位である。聞けば聞くほどひどいものだな、という印象を受けた。今日のNYTimesの記事にも、ドバイでDVシェルターを作った女性パイオニアの苦悩が描かれている。

Voice for Abused Women Upsets Dubai Patriarchy(ドバイの家父長制を揺るがす虐待被害女性の代弁者)By Robert F. Worth, published: March 23, 2008, NYTimes.

この女性(Musabihさん)はワシントン州で生まれ育ったアラブ人女性で、アメリカ的価値観をアラブ世界に押しつけているとして現地では激しく非難されているそうだ。グローバル化がその実「アメリカ化」だとして批判をあびせる知識人が、こういった構図に対してどう反論しているのかが気になるところだ。

グローバル化といっても単純ではない。台湾などで見られる東南アジアからの家事労働(つまり女中)の輸入など、国際的性別分業を進めているという見方もできる*1。他方で、アメリカは女性解放や人権という面では「先進国」とは言わないまでも、進んだ国であることは認めざるを得ず、アメリカ的価値観を世界に広めることがグローバル化であるならそれは女性解放の側面を持っている。

前述の修士論文では、マイクロ・ファイナンスが女性のエンパワーメントを推進することについては、マイクロ・ファイナンスがまず(少なくともバングラデシュでは)既婚女性を主な対象にしており、まがりなりにもお金を家庭に持ち込んでくる女性の意思決定力が増すこと、そして何よりも、マイクロ・ファイナンスに参加する女性は融資担当者を交えた定期的なグループ活動を通じて(家庭に閉じこもっているだけでは得られない)情報にアクセスでき、そういった交流を通じて家庭内での意思決定権を強くしていることが理由としてあげられていた。

とはいえ、マイクロ・ファイナンスの融資が終了すると女性の家庭内の地位はもとに戻ってしまうそうである。イスラムの価値観は強力で根強い。

Social Capital: A Theory of Social Structure and Action (Structural Analysis in the Social Sciences)

Social Capital: A Theory of Social Structure and Action (Structural Analysis in the Social Sciences)

*1:日本でも看護といった「女性労働」に途上国女性を登用せよ、という声も出てきた。