社会学者の研究メモ

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制度論と同型化理論

夏休みももう少しで終わり...(ふつうはもう始まってるか)。いい機会なので、きちんと読み直してみました。河野先生の『制度』。

ここでは本の感想ではなく(言うまでもなく必読だと思う)、諸分野での制度論の比較を論じてみましょう。

まずは社会学の制度論。一番有名なのは「同型化isomorphism」理論*1でしょう。これはある制度が導入される際に、導入される環境において本来なら制度の形を変える方が合理的であるはずなのに、そうはならずに判で押したように同じような形の制度が導入され広がっていく、という理論です。有名なのは男女平等参画制度の広がりが多くの場合内部適用性ではなく外部的な規範の導入をきっかけにしていたという話がありますが、その他にも政治制度、軍隊の形式なんかは内部的合理性からつくりあげるのではなく外部の既存の形式を導入することが多いわけです。

同型化理論を提起したディマジオはしかし、「合理性だけだと組織の形は説明できないんだよ」なんて陳腐なことを言いたいわけではもちろんありません。ディマジオによれば同型化には三つのパターンがあります。「社長のきまぐれで新しい子会社の立ち上げ責任者になった不幸な社員」のケース(オリジナル)で説明してみましょう。

  • 強制的coercive同型化:「法律でそう決まっているからそうした」というもの。「最低資本金規制はなくなったし、そもそも組織の形まではあまり規制されないので気にしなくていいかな〜。」
  • 模倣的mimetic同型化:「突然言われてもな〜。とりあえず同業他社を真似てみるか。」ディマジオはこのタイプの同型化を「不確実性への対処」としています。思考の節約といってもいいかも。ディマジオは「人間の行動の効率性において、マネすることはものすごい効果をもたらす」と言っています(DiMaggio and Powell 1983:151)。ここらへんはむしろ進化論を支持する理由にもなるかも。
  • 規範的normative同型化:「最近は女性差別すると非難されるからな。コース別採用は見送っておこう。」(※ここで経済合理性と抵触する場合、それは仕方がないということになる。あとは合意をいかにして形成するかの問題。*2

さて、社会学全般の特徴でもあるのですが、ディマジオは検証のための仮説を立てて満足しちゃうんですね(ウェブ上にディマジオ仮説をまとめたページがありました)。社会学者は「現象をよりよく説明する仮説とその検証」で終わることが多いのです。それでも科学としては別にいいのですが、結局は政策的な意義を引き出すのが社会科学の目的なのだから、「じゃあどうしたらみながもっと幸せになるのか」を考えてもバチは当たらないと思います。

ディマジオは、模倣的同型化のところで述べているように、同型化は合理的な面を持つ、と述べています。しかし政策の面で肝心なのは、個々の主体が合理的に行動することが全体として不幸になるのはいかにしてかということを明らかにすることなのだから、合理的説明をすればそれで終わり、というわけではありません。

合理的選択の面から同型化理論を整理しなおしてみると、同型化の合理性は次の二つになると思われます。

  1. 経路依存性。たとえそれが非合理でも制度的環境に合わせた方がコストがかからない。微妙に例が外れますが、反体制の人が「とりあえず偉くなって世の中を変えてやる!」と意気込んで出世を目指すようなかんじ。
  2. 不確実性。実際のところ何が合理的組織形態かなんてよくわからないので、とりあえず思考コストを削減して周囲に合わせる。再び不適切な例だと、学生時代に遊びほうけた学生が「まーよく分からないけどみんな就職してるし、そろそろ就活しなきゃ」というかんじ。

不適切な例からも分かるように、同型化は個人レベルの行動の類似性と同じ仕組みで発生しています。ということは、組織論としてはもしかして欠陥があるんでは?という疑いが発生するわけです。

これについては次回。

制度 (社会科学の理論とモデル)

制度 (社会科学の理論とモデル)

*1:P. J. DiMaggio and W. W. Powell, 1983, The Iron Cage Revisited: Institutional Isomorphism and Collective Rationality in Organizational Fields, American Sociological Review, 48(2).

*2:ディマジオはprofessionalizationの影響を強調するけど、日本的文脈ではあまりピンとこないかも。