社会学者の研究メモ

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「ネットワーク」はいいものか?

ここんところ東京で快適に過ごしております。京都よりは気候的にラク。夏の京都ときたら...。(京都のみなさん、バテてませんか〜?)

さて次回の日本社会学会の大会で報告しようとしているネタは、少々過激かもしれない(し、それは単なる自意識過剰かもしれない)。どういうネタかというと、「ネットワーク」ってたいていいい意味で使われる言葉だけど、社会的にはそんなもの存在しない方がいいのでは、という話です。それとあわせて、現在の社会学分野での社会的ネットワーク論にごそっと欠けているものを補いましょう、という試みです。これが「ネットワークはいいものか?」という問いかけ。答えは「そうでもないよ」*1

それはまあいいとして、今となってはよく分からないのが、なぜ人々は「ネットワーク」という言葉に夢を見いだすのか、ということ。いろいろ考えてみたけど、どうしてもよく分からない。分からないなりに仮説を立ててみた。

  • 「官僚制」とか「鉄の檻」とか「管理社会」とかいうイメージに比べ、自由で開放的なカンジだから。

これは有力な仮説ではないだろうか。(意味はよく分からないけど。)

  • 「ネットワーク」という語感がいい。かっこいい。

日本語に訳すときに「経絡」とか訳してたらこうは流行らなかった気もします。ちなみにノードは「ツボ」。大事なノードには「秘孔」はどうか。

*1:悪い兆候。なぜかは、経済学者と「エコノミスト」の違いを考えたら分かる。Ronald Burtなんてビジネススクールの先生ですよ。経済学でもないし、社会学でもない。