社会学者の研究メモ

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「家の鍵をかけない」---社会学で説明する(1)

PASORU'S WEB SITE」というウェブページがあります。この方のサイトはいろんな意味で面白い資料なんですが(ドラマにもなったらしいです)、当ブログでは、ここに書いてあることを社会学的に解説する、という試みを開始します(と宣言)。私は社会学者。社会学なんだから、いろんなことを説明できなきゃダメですし。

まず注目したのは、Pasoruさんが書いている「田舎について疑問を感じる」ことリスト。引用すると、こういうことが書いてある。

・家の鍵をかけない
・玄関から出入りしない
・他家を訪問する時、勝手に家の一部を開けてから声を掛ける(庭に面するどこかを開ける人が多い)
・他人が訪ねてきて勝手に戸を開け、部屋の一部に座る(庭に面する廊下などが多い)
・何かあると、女はパンチパーマの伸びたようなパーマをかける

...などなど(当該ページを参照)。

さて今日はまず「家の鍵をかけない」から。

これは仮説モデルを作るの簡単ですね(*注:これから書くことは主に仮説なので、実証されていることばかりではありません。あしからず)。

田舎の人ほどセキュリティ意識がないものです。なぜかというと、田舎の方が犯罪が少ないからです。なぜ犯罪が少ないかというと、犯罪のコストが田舎の方が高いからです。なぜかというと、お互いに顔見知りで縁が深いからです(これこそが田舎の定義)。こういうところで悪いことをすると、まず発覚しやすいし、発覚した後の社会的制裁も非常に大きくなります(村民からのサポートがないと生活上致命的)。だから犯罪者の割合が少なく、とうぜん家の鍵をかけることの合理性も弱くなります。

ただしこれは外部(都市部)からのアクセスが悪い場合。実は最近の日本では、犯罪増加率(当たり前ですが、発生率じゃないですよ)は田舎の方が圧倒的に高いのです。幹線道路が整備されるなどしてアクセスがよくなると、とうぜん都会の盗人はセキュリティ意識が低い田舎をターゲットにします。田舎の人が「鍵をかけない」ことが合理的なのは、その地域が遮断されている限りにおいて、ですね。

私もどちらかといえば田舎出身です。ですのであまりセキュリティ意識が身に付いていません。それでたまに知人にびっくりされることがあります。で、知人は(たいてい)都会者なんですね。

ところで"Bowling for Columbine"(マイケル・ムーア監督)なる映画には、「カナダ人は家に鍵をかけない」ということを紹介する場面があります。その理由としてムーア監督は「カナダ人はアメリカ人のようにメディアによって他人に対する恐怖を埋め込まれていない」「カナダは社会福祉が発達していて、失業者が犯罪に走らない」といったことを挙げています。実際のところはどうなんでしょうね。(調べてもいいのですが、専門外なもので。)

こういうのは「都市社会学」の範疇かな? それともそのまま「犯罪社会学」だろうか。