社会学者の研究メモ

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「少子化論争」(2)

どの制度設計でもそうなのですが、制度設計は重んじる価値観によって全く変わってきます。おおざっぱに言えば、価値観とは次の三つです。

(1)平等(結果平等と生存権)を重んじる立場
(2)公平(機会平等)を重んじる立場
(3)豊かさ(全体の経済成長、効率)を重んじる立場

この三つは互いに矛盾することもあるし、矛盾しないこともあります。たとえば高度成長期の日本はものすごい勢いの経済成長をバックにある程度の平等(生活レベルの底上げ)を達成してきました。ただし平等と成長は、低成長(パイの奪い合い)になると矛盾する方が多くなります。それに究極的には、資本主義社会では平等の理念が市場原理による配分効率化を阻害します。というのも、「必要のない自動車は生産されない」のが市場原理なら、ほんらいなら「必要のない人間は生存を止める」のも市場原理だからです。しかし少なくとも近代国家では生存権が平等に確保されているので、再分配が生じます。他方、「機会平等(のもとでの競争)と経済成長は矛盾しない」と考える人もいるみたいですが、そんなことはないですね。理論世界ではない現実の世界では、つねに「現時点での機会格差」は所与です。これを是正するコストを払うくらいならほっておいてパレート改善した方が成長が望めるということです。詳しくは拙著を参照(ごめんなさい)。

ともかく、この三つのうちどれを重視するかで制度設計に関する政策の色合いが変わりますが、同じ制度がふたつの理念を同時に達成することもあります。たとえば「教育制度」には二つの側面があって、ひとつは子どもにとっての公平(機会平等)を実現するため。もうひとつは経済成長のため。というのは、教育には外部経済効果があるからです(小塩先生の『教育を経済学で考える』など参照)。

しかしここでは話がややこしくなるので、とりあえず公平の理念だけを追求してみましょう。少子化が問題とされている理由を、ここでは次の二つだとしてみましょう。(ほんとにそうなのかどうかはここでは検討しません。単純に前提とします。)

(1)年金
(2)成長鈍化

実はこの二つは、少なくとも少子化対策という面で言えば、公平の価値観を重んじる限りはそもそも問題ですらありません。この立場からすれば年金の問題は世代間不公平問題であり、これを解決するには年金を賦課方式から積立方式に移行することです。(ただし実質的な賦課方式が制度化してしまっている現状ではそれが難しいので、成長による制度維持が目指されることになってます。)成長鈍化についてはもちろん問題などではありません。公平の価値観からすれば、Aさんが1000、Bさんが100の財を不公平に分配されている社会は、Aさんが50、Bさんが10の財を公平に分配されている社会よりも望ましくありません(..ある意味「美しい」社会です)。

ここで「生む権利の侵害/保障」(生みたいのに生めない社会というのはどんなもんか?)というのは、もちろん公平の理念からは根拠づけできません。もしできるのなら「うな丼を食べる権利」も制度的に保障しなければならないからです。「え、だって子どもは人類の宝だよ」という反論は、全体の成長を重視する立場からは意味がありますが、残念ながら公平の価値観からは導かれない考え方です。

「子育てフリーライダー論」(ひいては子なしから子ありへの世代内所得移転を推進する立場)を公平の価値観に基づいているかのように言う人がいますが、公平性を重んじるならばそもそも解決法は(世代間所得移転を発生させないための)積立方式あるいは保険制度への転換になります。所得移転ではないです。(ただし成長の原因と結果に関して外部経済がないという別の無理な仮定を置く必要あり。)少子化に関しては、所得移転は経済成長を重視する立場からのみ根拠づけ可能になります。なんでか知りませんが、一部では所得移転が公平の価値観から来ているように言われているようですが、これは上記の「無理な仮定」を文字通り無理だとみなしているかぎりで妥当します。

とりあえず結論。
(1)公平性を重んじるなら積立・保険制度。(ここだけみると赤川氏の結論とあまり変わりませんね。)
(2)成長を重んじるなら所得移転して生ませるべし。

私自身の立場はこの二つだと(2)に近いかな。現実問題として機会不平等なこの社会で、公平な制度に移行するにはおそろしくコストがかかりそう。もともと社会の仕組みってのは、ある程度公平性(注意:平等ではない)を犠牲にして全体の成長を促進するようにできているような気がするし、外部性だらけのこの経済を相手にして公平な制度設計を強引に推し進めてもし経済がガタガタになったとき、社会成員の総意が「それでも既得権益は全て廃止、公平重視」ということにはならないような気がする。人類がそんなに高潔な存在だとは思えないので、「子どもが減って何が悪いか!」とはっきりとは言いにくいです。

さて平等はどこにいったのか。また次回。